個が輝き共に生きる教育
金子 広志
長女の麻貴が逝ってから十月のはじめで百日が過ぎました。「時間が気持ちを落ち着かせる」と何人もの方から励ましも受けましたが、まだまだ私の中では麻貴が大きな存在として心を占めています。寂円寺の住職や御坊の方々には葬儀、初七日、四十九日とお世話になり、その度に心のあり方や浄土真宗のお話や法事のお話しなど様々なお話しを聞かせていただき心暖まる思いがしました。感謝しております。
十月になりましたが、どうして麻貴にこのような事が起こったのか何もわかりません。
海に行って溺れたとか、山に行って遭難したとか、交通の激しい所で事故にあったとかそれでも納得はできないと思いますが、まさか子どもには一番安全と思われた学校で死亡事故がおこるなんて予想もできませんでした。しかも朝登校する時には元気に家を出ていったというのに。私は、その日の朝に、弟の貴啓を抱きながら嬉しそうに私の通勤を見送ってくれた顔が忘れられません。
どうして、どのように事故が起こったのか、学校に状況を聞いても「一緒にいた友達の話もいくつか不明瞭な点があって『よくわからないのです』『「状況を説明できないんです』」ということでした。五階の図書室のひさしから三階のプールの足洗い場に落ちたという事実と落ちた現場の位置だけしか確かなことは教えてもらえませんでした。。臆病な麻貴が「どうして図書室からひさしに出たのか、友達と一緒だったらどんな会話をして、どういう状況で、動機はどんなことで、どの様に落ちたのか・・・・」と親としては色々な事を知りたいと思うのですが、どの事についても十分な説明をしてもらえませんでした。
私たちは「どういうことなのだろう、ひとが事故で死んでいるのに、しかも小学生が」と、張り裂けるような思いで文京区の教育委員会にも状況を聞きに行きました。担当者の方は「私が、一緒にいた児童から事情聴衆したのですが落ちた時の場面は私にもよくわからない」と説明(?)してくれました。さらに「警察の説明では犯罪はなかったと言うことです」と。そして、「何人かの先生や他の人たちから聞きましたが、麻貴さんは本が好きな子でひさしに出たりする子ではなかったようだ。その子がこういうことになってしまったのはたとえると見えない曲がり角で起きた『出会い頭の事故』のようなもの」と言われました。私は、この方は一体何が言いたいのだろうと「心の教育」と書いてある名刺をずっと見ていました。帰る時になってようやく、私は、この方が「私らには何の責任も有りませんよ。悪いのは『麻貴』さんです。自己過失です。運が悪いんですな」ということを言いたかったのだと理解しました。名刺の「こころの教育」が印象に残りました。
私は考えてみました。小学生の麻貴の友達が私の家に遊びに来ていたとする。家の中で走ってケガをしたとする。その時、私は親御さんに真っ先に「すみません。ケガをさせてしまいました。」と謝るだろう。多くのご家庭でもそうだと思います。大人が私の家に遊びに来てケガをしてしまった。失礼だが私はケガの状態は心配するだろうけどその親御さんに「すみません。ケガをさせてしまいました」とは言わないだろう。「子どもは何をするかわからない大人が注意していなければ」とは誰もが思っていることです。その子どもがたくさん集まるのが学校です。設備には安全過ぎるほど気を使いしっかり安全教育もするのが普通だと思います。図書室は5階にありました。しかも窓の高さは約60センチ。内側には本棚が階段のように有りました。たった1メートルほどの高さ。自分の家に小学生の子がいたら絶対にそんな状態のままにはしておかないでしょう。そこに何か「こころ」の寂しさを感じて仕方有りませんでした。しかも、先生はいなくて図書室は開け放しの状態。もっと悪いことに教師から目の届かない五階は図書室だけがある。
東海村で放射能事故が起こりました。当然のことと思いますが調査委員会を作って事故の原因を設備の面、組織の面、政府の指導の面、担当作業員の面、などハード的にもソフト的にも原因を究明し二度とこのような事故が起こらないように対処していくというニュースをテレビで見ました。私たちは事故後、教育委員会にも学校にも二度とこのような悲惨な事故が起こらないようにその原因を明らかにして対処して欲しいと申し入れました。もう十月になっていますが先にも述べましたように何も報告はありません。この事故の調査委員会を作ったということも聞いていません。怒りを通り過ぎて寂しさと悲しさと憂いまで感じます。私は、「こころの教育」を掲げその見本を示すべき現場にいる大人が、どうしてこのような無責任なことを平気でするのか不思議です。まだ幼い純真な子どもたちの《こころ》はそういう大人をどのようにとらえるのだろうかと思うと恐ろしく、そして子どもたちが可哀想になります。
私は私学で教師をしています。私は麻貴のためにも、子どもたちのためにも、「心の教育」のためにもこのままにしておくわけにはいかないと思っています。これから多くの方々にご協力をお願いして、ともに二度とこのような悲惨な事故が起こらないよう行動していきたいと思っています。
