麻貴

金子 広志(父)

ひな祭りが終わった。麻貴が逝ってからひな人形はかざれない。代わりに麻貴の写真がある。笑っている写真が。
 麻貴の夢はディズニーランドで働くことだった。私はディズニーランドは人が多いし乗り物もあまり興味もなく、いつも麻貴たちの「おつきあい」だった。麻貴がディズニーランドに初めて行った三才のころ、麻貴はメリーゴーランドの馬にしか乗れなかった。他のアトラクションは怖くてけっして乗ろうとはしなかった。その頃、麻貴を知る人からは慎重で臆病な子だとよく言われた。スプラッシュマウンテンというジェットコースターのような乗り物がある。それに乗れるようになったのは3年生か4年生の頃だった。しっかりバーを握っていたせいか乗り終えた後、手のひらを開いたり閉じたり繰り返していた。麻貴は「面白かった。」と言った。しかし、「もう一度乗る?」と聞くと何も答えなかった。五年生になって友達と一緒に行った時は、スプラッシュマウンテンに乗りながら友達と「万歳」をして両手を上に挙げていた。「あの麻貴」がと驚いた。しかし、写真を見ると麻貴の顔はとてつもなく引きつっていた。「面白かったね」と友だちに言っていたので思わず「無理するな、危ないからよせ。」とついみんなの前で言ってしまった。麻貴はバツの悪そうな顔をしていた。

 弟の貴啓にとって最初のディズニーランドは麻貴の最後のディズニーランドになってしまった。妻は貴啓の面倒を見て、私と麻貴が二人で行動することが多かった。おみやげの店がいっぱいあるところで麻貴は「目が全部黒いミッキーがいい」などとディズニーの多くのキャラクターの話からディズニーランドの解説など事細かく話してくれた。その知識の量には驚いた。そして、「お父さん、やっぱりディズニーランドに勤めるには英語ができないとだめだよね。麻貴はやっぱり英語の大学に行こうかと思うんだけど」と何気なく言った。「そうだな」とだけ答えたのだけど。この日、いつ乗るのかと思っていたスプラッシュマウンテンには夕方になって最後に乗った。私と二人きりだったせいか「あの麻貴」が復活して両手でしっかりバーを握っていた。この時も写真を見ると顔が引きつっていた。
ディズニーランドは麻貴の誕生日やその他、麻貴へのプレゼントとして行くことが多かった。私が麻貴にした最後のプレゼントは「お年玉」だった。残念ながら誕生日の三ヶ月前に麻貴は逝ってしまった。わが家のお年玉はお金ではなく品物であげることにしている。一月に麻貴は私の所に来て「お父さん。欲しいものがあるんだけど。千円以上になったら麻貴のお金でその分出すからいいでしょ?」と聞く。何だろうと思っていたら「ペンケース」だった。何度も「たぶん千円はしないと思うから」と言う。
麻貴は文房具に興味を持っていた。東急ハンズには、まだ歩けない弟を補助椅子に乗せて麻貴と自転車で行った。自転車で出かけるのは精神的に疲れる。何度も後ろから来る麻貴を確かめながら車は大丈夫か事故にあわないか心配しながらペダルをこぐ。麻貴はそんなことを知ってか知らずか平気な顔をしてついてくる。「ねえー、お父さんこのケースがいいんだけどどう思う?本当はこっちがいいんだけどこれは○○ちゃんが持っているから・・・・。」「いいじゃないか。自分がいいと思えば。誰がもっていてもいいんじゃないか?」「でも、○○ちゃんは嫌がると思うな。麻貴だったらやっぱり嫌だもの」「じゃあ、好きにしたら?」結局、麻貴は○○ちゃんと違ったケースを選んだ。そういう麻貴が私は大好きだった。

 順調に育っていた。子どもとして、小学生として。スプラッシュマウンテンで友だちに今までの自分と違った自分を無理してでも見せようとする姿を見て麻貴もそういう成長過程に入って来たんだと思った。これから始まる「背伸び」の時期、自転車で東急ハンズに行く以上に緊張して麻貴との対応を考えなければと思っていた。

 事故の日に図書室に一緒にいた保育園からの友だちが、今年、お母さんと一緒に麻貴に会いにきてくれた。どうしても麻貴の気持ちが知りたい。庇に降りようとした動機が知りたいと思う気持ちで尋ねた。友だちは幾つか話してくれた。友だちも辛かったろうと思う。言うに言えず、ずっと今まで過ごしてきたと思うと・・・・・。私の中で当日の場面が目に浮かんだ。図書室で話をしている麻貴、庇に降りようと本棚の上でかがんだ麻貴、降りようとする瞬間の麻貴。その具体的な場面とその時の麻貴の気持ちが伝わってきた。スーッと胸に落ちた。麻貴の気持ちが。だいたいの経過を確認できた時、友だちも少し楽になったようだった。その日は雪が降っていた。麻貴が喜ぶ雪が・・・・・。

 事故後、大人のひとりとして学校に関りを持たなかった自分を悔いた。事故の起こった日、麻貴に謝った。だけど、麻貴は身体に何本もチューブを入れてそれには応えずそのまま逝ってしまった。その後、指ヶ谷小学校のPTA有志の方々が学校の安全を考えるという趣旨で会合を開いて下さった。事故の状況もわからず何とも言えぬ気持ちでいた時に有難かった。そして、その時、図書室にいた友だちのお母さんと久しぶりに話せたことに私は感謝した。私は二度と麻貴のような事故が起こらないようにという思いと、麻貴が生きていた時にはできなかった罪滅ぼしの気持ちも含めて参加させて頂いた。

 どうしてこういう事故が起きてしまったのか、そして、今後この様な事故が起きてはならないと思い動きだした時、心温かい人々にめぐりあえたと思う。麻貴のクラスの保護者の方々やPTAの方々、調査する会の方々、教育関係の方々。これは麻貴からのプレゼントなのだろうか。調査する会の方々は様々な仕事を持ちながら時間を割いて夜からの会にも参加して下さった。時には激論にもなった。麻貴のような事故が再び起こらないよう強く願っているのだと思った時、素直に純粋に「うれしかった」。ありがとうございます。 時間が経つにしたがって、様々な考えや思いが生まれてくる。そのたびに麻貴の魂に正面からその考えや思いを言えるか確かめながら私は対応している。いつでも真摯に麻貴に向き合っていきたいから。