調査報告2 調査の経過

1. 遺族からの聞き取り調査等

麻貴さんは、父、母、そして弟の四人家族でした。
住所 文京区千石1-1-9
父 広志(大東学園高等学校教諭) 45歳
母 恵子(主婦) 43歳
弟 貴啓 4歳

調査する会と麻貴さんの両親とのかかわり

調査する会は、1999年7月7日以降、25回にわたり麻貴さんの事故の原因を明らかにするために会議を開きました。その会議の中で、両親から、麻貴さんの家庭での生活の様子、保育園へ通っているときの成長の様子、指ヶ谷小学校に入学してからの生活や友達との関係、高学年になってから通いだした塾の様子等をくわしく聞き取りました。
また、調査する会のメンバーが、個別に両親宅を数回訪問し、麻貴さんの部屋や麻貴さんの残した作文、詩、図画、習字などの数多くの作品を見るとともに、生前の麻貴さんの家庭での様子を聞き取りました。

麻貴さんの成長の様子

麻貴さんの成長の様子の一端を別項の「おいたちの記-金子麻貴さん-」にまとめました。そこには、努力家で慎重な性格だった麻貴さんの様子などが記録されています。
また、麻貴さんは、読書好きで作文の能力が優れていました。厚い本でも、まるで漫画でも読むような気軽さで読んでいたそうです。ピアノや習字の教室にも通い、ピアノも上手に弾けて習字も上達しています。また、どちらかといえば苦手だった水泳も一生懸命練習して泳げるようになりました。本当に麻貴さんは努力家の女の子でした。

2. 学校の先生からの聞き取り調査

調査する会では、何度も学校を訪れ、この事故の真相を明らかにするための色々な協力をお願いしてきました。現場調査等を含めいくつか学校側の協力により実現できたこともありましたが、教諭とりわけ担任教諭からの事情聴取要請に対してはなかなか積極的な回答を得られず、全面的な事情聞き取りは出来ていません。しかし、何回か校長、教頭、担任教諭と話し合う過程で、断片的にですがこの事故の概要が分かってきた部分もあります。

3. 児童・保護者等へのアンケート及び聞き取り調査

アンケート調査

調査する会では、指ヶ谷小学校在校生を対象とするアンケートを作成し、学校側に対し、この事故から教訓を学びとり二度とこのような痛ましい事故が起きることのないよう万全な対策を立てるという趣旨を説明したうえで、アンケート実施の協力をお願いしました。
しかし、学校側の回答は、協力はできないというものでした。
そこで、調査する会としては、やむなく独自で1999年12月、小学校4年生、5年生、6年生の在校生及び卒業生に対するアンケートを実施しました。その主な内容と評価は後で述べる「図書室の利用方法等の問題」の所で示したとおりです。なお、くわしいアンケート結果はアンケートをお願いした方々には、すでに発送させて頂きました。

図書室に一緒にいた児童からの聞き取り調査等

調査する会では、できるだけ詳しく、事故直前の麻貴さんの様子、庇(ひさし)に出ようとした麻貴さんの動機、庇に出るときの動作、庇に出た後落下するときの様子などを明らかにするために、事故直前に図書室に一緒にいた2人の女子児童さん、 さんと直接面談によって事情を聞き取ろうと試みました。
しかし、友だちを目の前で失ったショックもあったのでしょう、児童のご両親の承諾がなかなか得られず、残念ながら直接面談による事情聞き取りはできない状態でした。
そこで、次善の策として、ご両親の了解を得て、 さんに対して簡単なアンケートを作成して、これに答えていただきました。その結果、回答文書が2通得られました。
しかし、その後も調査する会では、2人の児童からの事情聞き取りを繰り返しお願いしてきました。
また、後に述べるとおり、PTAの有志の熱心な働きかけにより、事故後1年半が経過した2000年12月16日に「学校の安全と安全学習について考えましょう」という会が開かれました。この席で金子さんは、わが子が死亡した真相を知りたいということと、二度とわが子のような子を出したくない、と訴えました。会にはBさんの母親も参加されていました。その後、12月22日(土)、Bさんが母親と一緒に麻貴さん宅を訪れ、麻貴さんの両親に色々と話をしてくれるようになりました。また、続いて今年(2001年)の1月20日(土)には、Aさんもやはり母親と一緒に麻貴さん宅を訪れ、事故の状況等を話してくれました。

4. 現場調査の実施

調査する会ではそのメンバーが、5度にわたり直接指ヶ谷小学校へ行き、①5階にある図書室とその庇(ひさし)②麻貴さんが落ちた地点であるプール脇の腰洗い槽(そう)の2ヶ所を主として調査しました。また、その他、危険な箇所がないかという点から学校全体を視察しました。
4回目及び5回目の現場調査においては、事故が発生した図書室が、事故後に5階から3階に移設されたこと、並びに5階が校歴室となったことも確認しました。
現場調査を実施したのは次のとおりです。
第1回現場調査:1999年 7月 7日
第2回現場調査:1999年10月20日
第3回現場調査:1999年11月19日
第4回現場調査:2000年10月17日
第5回現場調査:2001年 2月15日
以上の現場調査の結果は、後に「主な原因」のところ等で述べるとおりです。

5. 区に対する情報開示請求の実施

情報開示請求をするに至った経緯

指ヶ谷小学校校長が、教育委員会に提出するいわゆる事故報告書を作成したと聞き、麻貴さんの両親がその提供を指ヶ谷小学校校長に直接求めましたが断られました。そのため、両親は、2000年3月に文京区に対し情報開示請求をしてこれを入手しました。
それにしても、なぜ、学校または教育委員会は、遺族に事故報告書を提供できないのでしょうか。一番事故の原因を知る必要があるのは遺族ではないでしょうか。わが子の供養をするためにも、遺族こそが事故の原因を知る必要があるのです。事故報告書を直接遺族に交付せず、情報開示請求というまわりくどい方法を取らなければ、学校が事故をどのように調査し、事故をどのように扱ったのかを知ることすらできないというのでは、あまりにも遺族を軽んじたやりかたです。

事故報告書の内容について

しかし、このようにして入手した学校側の事故報告書(正確な文書名は「児童の死亡事故について」と題する書面(1999年7月6日付 版 枚))をみても、とても十分に調査が尽くされているものとはいえません。ことに再発防止という観点がどこにもみられません。単なる事務的な事故発生の報告にすぎず、その正確性についても疑問があります。 「その他」の項目では学校側の責任逃れのごとき記載も見受けられます。この調査の不十分さについては後ほど詳しく述べますが、この報告書からは、学校側がこの痛ましい事故から教訓を見出そうとする姿勢が全くうかがわれません。